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萩 二

 

 毛利輝元は千利休門下の茶人大名の一人でした。彼は当時、朝鮮半島からもたらされていた高麗茶碗の魅力にとりつかれていたようです。萩に入府した輝元は、李勺光らに城下で高麗茶碗によく似たものを作らせる計画をしました。

 萩の東郊、松本村の鼓ヶ岳(唐人山)という小高い山を薪山として、この山麓に窯を築かせました。ところが、この付近ではよい陶土がありませんでした。そこで領内各地を探索し、瀬戸内海沿岸の防府の郊外、大道で花崗岩が風化してできた耐火度の高い良質の粘土を見つけることができました。この粘土を大道土と言い、萩焼の重要な陶土の一つです。このほかにも日本海沖約四〇キロ余りの離島、見島から見島土を、そして長門市付近からも数種類の陶土を採取して、作るものによって、これらの粘土の配合を工夫して使うことになりました。

 前回説明したとおり、松本萩は藩直営の御用窯で、作られたものは、藩主のお遣物として朝廷や将軍家への献上品、大名家、公家への贈答品のほかは、殿中や藩庁で使われるばかりで、一般の市場に出ることはありませんでした。

 作られたものの内容は、圧倒的に茶碗が多く、次いで茶入れ、水指などの茶道具のほか、食器類は碗、皿などで江戸時代を通して大きな壷のようなものは殆ど作られませんでした。

 萩焼の技法には、絵付けされたものは極めて少なく、その単調さを補うものとして、ヘラ目、そぎ目または三島手、刷毛目、粉引きなど、更には釉薬によるわずかな装飾を見るほどで、わびの世界に徹していると言えましょう。

 耐火度の高い粘土を使って、やや低温で焼くと素地が十分には焼け締まらずにいくぶん吸水性が残ります。このような茶碗を使い込んでゆくと、釉薬の貫入を通して茶が素地に滲みこんで、わずかずつ色が変化します。これを一般に「萩の七化け」と呼んで好事家に愛用されています。

 明治時代になって藩がなくなると、藩の保護下にあった窯は何処で一時衰退しました。更に明治政府は茶の湯を旧弊なものとして排斥した時期があって、萩焼は苦境にありました。その後、茶の湯は、茶道として女学校の正課に取り上げられることによって一般普及し、二〇世紀後半には戦後の経済の発展に伴って、茶道も茶道具作りも盛んになりました。

 近年の萩は、幕末から明治にかけて活躍した志士たちの遺跡を訪ねる旅行がブームとなって大いに繁盛しています。

 

 

 

 

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