陶芸家 江口滉
三彩
奈良時代の文書に「瓷器」と書いてシノウツワモノと読ませる新しい焼き物が登場します。当時、陶器はスエモノと読ませ無釉の須恵器のことを指し、瓷器は施釉陶器のことを言いました。
瓷器には青瓷(アオシ)と白瓷(シラシ)の二つがあり、青瓷は緑釉または正倉院三彩、奈良三彩と呼ばれている低火度の鉛釉の施された陶器のことで、白瓷は尾張猿投窯で始まった灰釉陶器のことだと言われています。
奈良時代に始まったとされる三彩釉は、当時中国では唐三彩が盛んに作られていたので、この技術を導入して作り始められたと考えられていましたが、近年の研究で、三彩釉よりも緑釉が先行していたことが判ってきました。最初に登場する緑釉は朝鮮半島南部から伝えられた技術によって開始されたようです。奈良時代になって、唐三彩の技術を導入して多くの三彩が作られました。
奈良東大寺の正倉院には正倉院三彩と呼ばれている彩釉陶器57点と須恵器10点などが伝えられていますが、これらの焼物は地上で伝えられた世界最古のものとして有名です。
正倉院の三彩陶器は大阪府交野市近郊で採取された粘土で丁寧に作られ、1000度ほどで素焼きをした後、鉛を媒熔剤とした低火度の釉薬を筆で色別に塗り、800度前後で焼かれています。これらは官営の工房で作られたと思われますが、窯跡は判っていません。
正倉院のほかにも、当時作られた彩釉陶器が、秋田県から鹿児島県まで33都府県にまたがる奈良時代、平安時代の270遺跡から数多く見つかっています。これらの遺跡は宮殿跡、官衙跡、寺院跡、神社跡、祭祀遺跡、墳墓、集落跡、城柵跡、古窯など祭祀に関する遺跡が主で、出土するものは壷、瓶、鉢、盤、碗、皿をはじめ火舎、仏塔、合子、硯など多種類にわたりますが、これら三彩陶器は日常生活で使ったものとは考えられません。
中国の陶三彩の大部分が、貴族たちの墳墓に埋葬するための明器であったのに対して、奈良三彩は一部骨臓器のような埋葬品を除けば、多くは祭祀または儀式のための道具として作られたことに大きな違いがあります。
三彩は、奈良時代に作られただけで、平安時代には、中国から青磁を中心としたあたらしい焼物の輸入が増加し、これらの影響を受けた緑釉陶器が作られるようになりました。
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