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沖縄三

 

 一六八二(天和二)年、琉球王府は工芸産業振興政策の一環として、湧田窯、知花窯、宝口窯など各地に散在していた窯を牧志村に統合しました。これが現在の壷屋です。このとき、村の東側に上焼(じょうやち=施釉陶器)の陶工たちを、西側には荒焼(あらやち=焼き締め陶器)の陶工たちを集めました。

 この地は良質の陶土が採れるばかりではなく水利にも富み、首里城にも港にも近い丘の南斜面にあって製陶地として恰好の場所でした。現在、壷屋に残っている東ぬ窯(あがりぬかま)と南ぬ窯(ふぇーぬかま)は、王府から拝領した窯で、三〇〇年間の歴史を誇る壷屋を代表する文化財です。

 一九三九(昭和十四)年、壷屋を訪れた河井寛次郎は随筆「壷屋と上焼」のなかで当時の情景を次のような文章に残しています。

『那覇から首里へつづく街道は町を出るとすぐに低い丘の起伏する野原の中にはいる。サトウキビや芋畑につづく丘という丘はみな芝草におおわれ、どの丘もみごとな松をいただき、斜面にはいくつかの不思議な墓が並んでいるのが見えてくる。道は地形に沿って曲がりながら次々に眺めを変える。豚を担いだ男が通る。ざるを頭にのせた女が行く。赤い瓦の家が緑の中に浮き出す。こんな道の右手に壷屋の部落は盛り上げられている。

 壷屋というのは十八軒の南蛮焼(焼き締めの泡盛甕)を焼く家と、十一軒の上焼屋(いわゆる琉球焼)と、幾軒かの瓦屋とからなる部落の総称なのである。この部落の入り口の南蛮焼の大きな窯は、先ずこの未知の壷屋を示す最初のすばらしい標識である。赤土の斜面の幾本かの榕樹の大木の枝の下に太いサンゴ礁の柱をたて、たくましい赤い丸瓦をのせた屋根を持ったこの窯はうねうねと丘に這い上がっている。

 これは幾代かにわたっての南蛮焼の光栄である歴史を担うにふさわしいものである。それもすばらしい遺跡としてではなく、盛んな煙を今もなお上げている生きた窯場なのである。この窯につづいて幾つかの南蛮甕の仕事場がある。みな赤瓦のしっかりとした仕事場で、家の中も外も大きな甕でいっぱいである。ここからつづくサンゴ礁の石垣塀の小路を挟んで高く低く上焼屋の家と窯と仕事場とが木立の間につづく。家はみな平屋で、厚い漆喰で目地を塗られた赤い素焼きの丸瓦の強い立派な屋根を持っている。』

 現在の壷屋は、那覇市の市街地の膨張に伴って、その中心部にまき込まれ、最も過密なビルや住宅、多くの商店などに周囲を囲まれています。ここでのやきもの作りは殆どできなくなったため、多くの陶窯は本島中部の読谷村へ移転しました。読谷村は、沖縄の新しい「やちむんの里」として発展しています。

 

 

 

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