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京焼二

 

 桃山時代は豪壮、華麗な建築をはじめ障壁画や彫刻、陶器、漆器、染織などが発展し絶頂を極めました。都ではあらゆる階層の人々の間で茶の湯が流行し、秀吉好みの豪華さと、利休好みのワビ・サビの美しさが両立していた時期でもありました。

 豊臣政権の崩壊の後、政治の中心は江戸に移りましたが、金融機能と手工業技術は京都に残りました。(と同時に、諸大名の最も重要な財源となるコメ流通機能の中心は大阪が占有することになりました。)諸大名たちは、呉服や漆器などの高級手工業製品、武器・武具、薬種などの調達のために、京都に藩邸(大阪には蔵屋敷)を置かざるを得ないほどでした

 江戸幕府が成立した後の京都は、公家と町衆の都会となり、人々の美意識は「みやび」なものに変りました。

 前回説明した神谷宗湛の日記(一六〇五・六・十五)に記された「肩衝京ヤキ」「黒茶碗京焼也」は十七世紀初期に本格的なやきもの作りが京都で始まっていたことを示したものですが、これらが市中のどこの窯で作られたかは判っていません。伝承によれば、粟田口三条蹴上(現在のウェスティン都ホテル辺)に瀬戸の陶工三文字屋九右衛門が窯を築いたのが京焼の最初と言われています。

 従来、京都では焼物は外から買い入れるものでしたが、人々の新しい好みの需要に対応して、生産地から工人を招いて京都で生産することにしたのです。当時、瀬戸・美濃地方では九州から伝えられた新しい登り窯の技術が普及していましたので、京都に導入された窯も最新のものだっただろうと思われます。

 京都は東・北・西を山で囲まれた盆地です。周囲の山には薪となる樹木が豊かで、山麓には良質の陶土が採取できます。しかし、これらを採取するには役所に届け出なければなりません。やきもの作りには、このほかにも工人の転出入、工房や窯の築造や火の管理等々京都所司代の許可の要ることが少なくありません。これら役所からの制約や束縛をなるべく軽くするための工夫として、窯場の設置に門跡寺院の庇護を求めることにしました。例えば、粟田口の窯は青蓮院、清水・音羽・八坂は清閑寺、小松谷・五条坂は妙法院、御室・鳴滝は仁和寺、修学院は後水尾上皇の離宮などです。これは京都でのやきもの作りが可能になった大きな特色のひとつです。

 

※京都所司代=江戸時代に京都の治安維持の任務にあたった部署

※門跡寺院=皇族や貴族が出家して、入室している特別な寺格を持っている寺院

京焼
茨城県常陸太田

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茨城県常陸太田市美里町

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