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京焼八 木米

 

 奥田頴川は、磁器の開発や中国的な意匠の研究のほかに、後進の育成にも力を注いだようです。青木(あおき)木米(もくべい)(一七六七~一八三三)は頴川の門弟の一人です。

 木米は、京都祇園の茶屋「木屋」の長男として生まれました。幼名を「八十八(やそはち)」といい、「木屋」の木と八十八を米に作ったのを合わせて木米と名乗ったと伝えられています。幼い頃から、学問を好んだらしく、早くから儒学者、画家、篆刻家として知られていた高芙蓉のもとに出入りして中国の古器などについて学び、文人的な薫陶を受けました。

 また、大阪の大富豪で文人の木村蒹葭堂(けんかどう)と交流し、ここで中国清代に書かれた「陶説」と言う書物を読んだことから、やきもの作りを目指して三〇歳の頃、頴川に入門しました。

 『木米ほど博学で、実践力のある陶工はそれ以前には一人もいなかった』『木米ほどどのような陶技もみごとにこなし得た人はいなかった』と言われるほど研究熱心で、瞬く間に頭角を現し三十五歳の頃には「唐物写しの急須の名手」と呼ばれるほどでした。

 木米の窯は、粟田口青蓮院(しょうれんいん)領東町にあり、三十八歳の頃には青蓮院御用焼物師を拝命しています。三十九歳のとき、加賀金沢町会所から招かれて卯辰山の瓦窯で試作をして、翌年には春日山に本窯を築いて独特の青磁や色絵を焼造しました。

 木米は頼山陽(らいさんよう)や田能村竹田(たのむらちくでん)らと親交を深め、文人趣味の煎茶器を得意としました。それらには、復古の気風が備わった、古染付、呉須染付、祥瑞(しょんずい)、交趾(こうち)、七官青磁、天龍寺青磁など中国陶磁や、三島手、御本手など高麗物を巧に写しつつ独自の創意工夫が見られます。

 木米の急須は大変薄手に作られて、緻密な文様が施されています。これは、型作りによるからで、型作りは香炉や香合にも応用され、煎茶器の量産を促しました。

 写真の煎茶器五客は、青磁、白磁、交趾、赤地金襴、呉須赤絵と当時のやきものの世界を象徴しているような取り合わせです。木米は何でも幅広く作ることができる驚異的な陶工で、粟田口の大黒柱とさえ言われたのも肯けます。

 交趾写飛鳳文急須は、箱書きに木米自身の手で「得意の製」とあり、整った器形、飛鳳文様の面白さ、釉薬の発色の鮮やかさなど抜群の優品です。

 

茶屋=遊女や芸者を揚げて客に遊興、飲酒を供する家

木村蒹葭堂(けんかどう)(一七三六~一八〇二)=江戸後期、大阪の文人 代々酒造業を営む 

幼少期より学問を好み本草学、漢学、絵画などに秀で、博学多識、書画骨董の収集で知られ、文人墨客の集まるサロンの主宰者的な人。

 

京焼
茨城県常陸太田

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茨城県常陸太田市美里町

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