陶芸家 江口滉
京焼六 乾山二
十七世紀のはじめに江戸幕府がスタートしてからおよそ一〇〇年、元禄時代は平和と都市町人の経済的な成長を背景に学問、文芸、美術、工芸、演劇、服飾、料理などさまざまな分野にわたる文化の絶頂期にありました。光琳と乾山はこのときの絵画、陶芸の担い手の第一人者でした。
乾山の作品には、これまでの日本のやきものには見られない、いくつもの創意工夫があります。まず、形つくりには、ロクロを使ったものはなく、すべて型起しか手捏ねによるものです。とりわけ、縁が少し立ち上がった底の平らな四角皿は、これまでの日本の陶磁器には全く見られない斬新なものです。 この皿に兄光琳が絵付けをし、乾山が詩文を書き入れる詩画一体の表現が創りだされました。
次に、素地に白泥で化粧を施したのも日本では乾山が最初です。白化粧を施すことによって、その上に銹絵や染付などで絵付けすることができるようになり、装飾効果を高めることができました。
乾山が鳴滝窯で活躍をはじめた頃、京都には伊万里の色絵磁器が運び込まれて、大いに人気を博していました。乾山は、伊万里の磁器に対抗する意識があったのでしょうか?
乾山が作ろうとしたのは、公家や裕福な数寄者たちの集うサロンで楽しんで使われる食器が中心でした。
乾山の作品の中に「絵替り土器(かわらけ)皿」という組皿があります。この皿はロクロを使わずに手捏ねという方法で作り、一部に白化粧を施して、銹絵や染付、金泥で流水文、梅文、波に帆舟文を瀟洒な筆致で描いています。この皿は八百度ほどの低い温度で焼かれた土器(かわらけ)です。
もともと「かわらけ」は飲食器として使うと汚れが滲みこむため一回限りの使い捨てが原則です。枕草子に「清(すが)しと見ゆるもの」として登場します。いつも焼きあがった新品が使われていたからです。かわらけの一つ一つは安価なものですが、一度限りで捨てられるので、結局は高い出費になり庶民には手の届かないものでした。乾山はこの組皿を繰り返し使う食器とは考えていなかったと思います。贅を尽くした遊び心の皿だったのです。
また「色絵定家詠十二ヶ月和歌花鳥図角皿」という十二枚がセットになった作品が何組かあります。タタラ成形で、底板に四辺の側板を上から貼り付けた角皿で、薄く繊細なつくりです。素地に白化粧を施し、表面に花鳥画を描き、裏面に和歌を散し書きし、透明釉を掛けて低火度で焼いてあります。元禄時代は宮廷の中で王朝文化の復古の機運が高まり、とりわけ公家たちにとって、定家に対する崇敬の念は強いものがあって、これに乾山の文学的素養を遺憾なく発揮した作品とくれば、これにはサロンの公家たちも、ビックリ仰天拍手喝采で大喜びしたことでしょう。
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