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京焼四 仁清

 

 京焼の生産がようやく軌道に乗りかけた頃、大きな転機が起こりました。陶器の器肌に白化粧を施して、色鮮やかな絵の具で模様を描く色絵陶器が登場したのです。この色絵陶器を大成させたのが、野々村清右衛門(仁清)です。仁清は生年も没年も正確には判っていませんが、一六六〇年~八五年頃が全盛期だったと考えられています。

 仁清の工房でやきものつくりの手ほどきを受けた尾形乾山は、後に著した「陶工必用」「陶磁製法」の中で「仁清は瀬戸で数年間修業をした」「仁和寺の門前でやきものつくりをしたので仁和寺の仁と清右衛門の清を合わせて仁清と名のった」と記しています。

 仁清の名が初めて記録に登場するのは一六四九年八月で、金閣寺の鳳林承章の日記「隔冥記」に「焼物師清右衛門焼物之形作・・・」とあり、翌年の十月には「仁和寺御記」に「丹波焼清右衛門来」とあります。瀬戸でロクロや釉薬の技術を学習した清右衛門が京都の粟田口辺りで焼物つくりに携わっていたときに見出され、仁和寺門前の御室(おむろ)窯に招かれたのだと思われます。

 長次郎が千利休の指導の下で楽焼を創出したのと同様に、仁清は金森宗和のアドバイスを受けながら、御室の窯で全く新しい華やかな茶の湯の道具を創りだしました。(金森宗和はこの連載の二〇〇七年十二月号 喫茶の歴史十八を参照)

 仁清は優れた成形の技術と豊かな感性・創造性を備えた陶工でした。江戸時代全体の陶芸を眺めても仁清工房の作品ほど洗練された工芸的造型感覚と周到な技術を駆使してきめ細かに制作された作品は他にはないでしょう。

 仁清の作品には茶壷、水指、茶碗、茶入れ、香合、香炉など茶道具がたくさんありますが、とりわけ色絵の茶壷は、他に見られないロクロの妙技と絵付けの優麗典雅な趣があります。

 葉茶壷の代表は国宝で熱海美術館所蔵の「色絵藤花図茶壷」でしょう。室町時代以来輸入されていたルソンの壷を写した形でロクロ成形は仁清の技術が遺憾なく発揮され、大ぶりの壷としては稀に見る薄さで挽かれていて、その姿は端正で気品があります。絵付けは専門の絵師の手になるものと考えられていますが、藤花の構図や色彩の配置など一部の隙もない優品です。

 仁清はロクロの名手であると同時に彫塑的な細工物にも非凡な手腕を持っていました。これも国宝で、石川美術館所蔵の「色絵雉香炉」は極めて優れた作品です。嘴から尾まで均衡良く、釉薬のムラもなく上絵の配色で隅々まで細かく気を配り、特に黒の上に緑の絵の具を施し細い金の線描で羽毛を表現した手法は鮮やかです。

 

京焼
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