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信楽

 

 滋賀県の琵琶湖の南、京都府、奈良県、三重県と境を接する標高三~四〇〇メートルの高原盆地に信楽はあります。この辺り一帯は、花崗岩質岩石が風化堆積してできた良質の陶土に恵まれ、周囲を緑豊かな自然林に囲まれて、やきものの産地には恰好の場所だと言えましょう。

この信楽で、やきもの作りが始まったにはいつなのか、そしてその技術や陶工たちは何処からやってきたのか、不思議なことにその正確なことは今もなお判っていないのです。

信楽焼の開始に関して説明しているものには二つの事柄がよく紹介されています。

その一つ目は、垂仁天皇三年条に記されている「近江の国の鏡村の谷(はざま)の陶人(すえひと)は天日槍(あめのひほこ)の従者であった」という記事です。そしてこの記事の前後には「天日槍という人は、新羅国の王子であったが、国王になるべき地位を弟に譲って、日本に渡来して、播磨や近江、若狭を経て但馬の出石に住んだ」ことが述べられています。鏡村の谷は現在の湖東鏡山の東麓にある竜王町一帯で、この辺りには多くの須恵器の窯跡のあることが知られています。この窯跡群を鏡山古窯群と呼んでいます。

日本書紀には大阪の陶邑に須恵器の技術が伝来した経緯について「雄略天皇七年条に「百済から新漢陶部高貴(いまきのあやのすえつくりのこうき)が渡来して伝えた」と記されています。これらの二つの記事をその通に読むと、近江での須恵器作りは、大阪陶邑のそれよりかなり早く始まっていたことになりそうです。しかし、鏡山古窯群の操業は、六世紀中ごろに始まり、一時は大いに栄えましたが、古墳時代の終りとともに急速に衰退し、七世紀末ころには、ごくわずかの窯が稼動しているに過ぎない状態になっていたようです。

そしてやがて、須恵器作りは近江の国全域に拡散し、中には寺院や官庁の建築に伴って瓦作りを始めるところもあったようです。

十世紀頃になると、湖東地方のいくつかの窯場で緑釉陶器や灰釉陶器を作るところもあったようですが、これらの変遷が中世に信楽焼に結びつく形跡は見つかっていません。

もう一つは、八世紀の中ごろ、聖武天皇は信楽(紫香楽)に何度か行幸して、この地に離宮を造営し、大仏を建立する計画を立て、直ちに着工したということです。ここでも建築に伴う瓦作りがあったようですが、この計画もやがて中止となって、信楽焼につながることにはなりませんでした。

 

信楽焼きの開始の時期は明確には判っていないと書きましたが、おそらく十三世紀後半ころ(鎌倉時代の中ごろ)に始まったのだろうと考えられています。

ちょうどそのころ、農業の改良が飛躍的に進み、生産量の増大に伴って民衆の日常生活にも向上が見られました。当時数多く描かれた絵巻から、庶民の活き活きとした生活の姿をうかがい知ることができます。農業生産の伸びはその他の製造業にもよい刺激を与えます。そしてそれはやがて貨幣経済を促進します。各地に定期的な市が見られるようになり、村々には惣(そう)と呼ばれる自治組織が発生しました。

 このような変化を、焼き物の側から眺めてみると、貯蔵や醸造のための大きな甕の需要となって現れます。その結果、常滑では大形甕の大量生産を生み、やがて生産量が需要に追いつかず、供給不足が生じたようです。越前焼き、信楽焼き、丹波焼きなどは、これを補完するために発生したのだと考えられています。これらの窯で作られた初期の大きな甕類は、その形や口つくりなどが常滑のものとよく似ていて、その創業には常滑からの技術の導入があったと考えられています。

 ところが、信楽の製品は常滑や備前などと違って全国的に流通することなく、販路は近江、京都、奈良、伊賀など近隣の狭い範囲に限られていました。

 このころの信楽に「蹲る(うずくまる)」と呼ばれる独特の壷があります。本来は農家の種壷として作られた無釉の雑器です。背が低く、底の大きなずんぐりとしたその形が、人の蹲った姿に似ているところから、後世の茶人が名づけたもので、侘びた味わいが好まれて

茶の道具として使われました。

 この蹲るの壷の多くには、その肩の部分に「桧垣文(ひがきもん)」と呼ばれる文様が施されています。へら掻きの斜線が交差する連続文様で、ヒノキの薄板を網代に組んだ垣根の形を思わせる、信楽焼きの独特の文様のひとつです。

 素朴な味わいのある信楽焼きは十六世紀・室町時代後半ころから流行し始めた侘び茶の道具として採用されるようになって、民衆のための雑器窯としての主役の座を譲ることになりました。

 茶道具としての信楽焼きについては、後日改めて説明する予定です。

 

 

六古窯
茨城県常陸太田

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茨城県常陸太田市美里町

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茨城県日立市2

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