陶芸家 江口滉
桃山の茶陶1
珠光が弟子の古市澄胤(ふるいちすみたね)に宛てた「珠光古市播磨法師宛一紙」と呼ばれている書簡があります。この中で珠光は侘びの心得を説明して、『この道で重要なことは、和物(わもの)(国産品)と唐物(からもの)(輸入品)の味わいを混合して、そのけじめを判らなくしてしまうことです。これはよくよく心しなければなりません。また、冷え枯れるなどと言って初心者が備前や信楽の道具をふりまわして、独りよがりの得意顔で気取っていることがありますが、とんでもないことです。』といっている一節があります。
また、十六世紀の中頃に藤村庸軒(ふじむらようけん)という茶人が書いた「分類草人木(ぶんるいそうじんぼく)」という書物には、『最近、茶の湯には唐物が不要になってきました。驚きあきれるばかりです。とは言うものの、初心者や貧しい人々にとって炭や茶さえも充分には調達できなければ、唐物が持てないのは当然で、侘び数寄というのも面白い風情といえるのでしょうか』という意味の記述があります。書院茶から草庵の侘び茶に移り変わる過程として、また、唐様の茶会から、和洋の茶会への一道程として注目される文章です。
この頃から茶人たちの間では、庶民が日用品として使っていた備前や信楽で作られた雑器の中から、茶道具として使えそうなものを選りだして使うことが流行し始めました。
備前や信楽の製品の中に、『鬼桶』と呼ばれている水指があります。円錐台を逆さまに置いたようなシンプルな形の容器です。もとは日用品のひとつで、織物の素材である苧麻(ちょま)(カラムシとも言う)から採取した繊維を入れておく容器で、「苧(お)の桶(おけ)」が訛って「オニオケ」と呼ばれるようになったといわれています。これが、侘び茶の水指に使い易いと言うところから転用されたのです。
需要が増えれば、供給も増加するのは必然です。やがて、信楽や備前ばかりでなく、各地のやきものの産地では、茶道具の生産が始まりました。作られる器種は水指、花入、茶入などのほかに懐石料理のための各種の食器や酒器など多種多彩です。
そして、桃山時代、茶の湯の全盛に伴って、茶陶の生産も爆発的に増えていくことになりました。
※ 茶の湯の道具の一つとして、水指が使われるようになったのは、室町時代の中期頃、珠光が侘び茶を創唱してからだということです。
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