陶芸家 江口滉
桃山の茶陶7 志野2
高温で焼いても、常に安定した灰釉を作りたいと、そのような工夫をする中で黄瀬戸が作りだされたことは、この連載「桃山の茶陶五」で説明しました。志野釉も同じように灰釉に工夫を加えて改良されてできたと考えられます。灰に長石質原料を添加しながら実験を繰り返し、木灰の分量よりも長石を多く使うことで白く不透明の美しい釉薬を作り出すことができました。これが志野釉です。
『白天目』と呼ばれている茶碗が数点あります。中でも、かつて武野紹鴎が持っていて、後に尾張徳川家と加賀前田家に伝わったとされる二つの碗が有名です。この茶碗は室町時代の末期頃に焼かれたわが国最初の白い焼き物です。
室町時代の末期頃に、瀬戸や美濃で作られていた茶碗の多くは唐物写しでした。この白天目の形は、唐物(建盞など)の形を模倣したものです。この形の碗に鉄釉を掛けて焼けば瀬戸天目になります。ここで鉄釉をではなく、新しく工夫された白い不透明の釉薬を施して焼いたのが白天目です。これが後に爆発的に開花する「志野」の先駆けです。
わび茶が発展する過程で、茶碗の形に変化が現れました。瀬戸黒のところで説明した円筒を輪切りにしたような形です。何故このような形の茶碗が作られるようになったのかはよく判りませんが、志野にもこの形の茶碗がたくさんあります。国宝に指定されている『卯花墻(うのはながき)』と言う茶碗は、その代表のひとつです。志野の茶碗が最も盛んに作られた桃山時代の末頃に、茶の世界では唐物への憧れから脱し、和物が前面に押し出されてきていたのです。
茶陶としての志野にはさまざまなものがあります。茶碗をはじめ、水指、花入れ、香炉、香合、鉢、向付などです。
また、志野は白く焼くことができるようになったため、酸化金属(鉄やゴス)を使って絵付けをすることができるようにもなりました。絵付けの技法は、更に工夫が重ねられて、一層多彩な彩飾方法が考え出されました。絵志野、鼠志野、赤志野、紅志野、練りこみ志野などです。これらについては、次回説明します。
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