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桃山の茶陶15 楽焼4

 

 楽焼は、わずかな道具と小さな内窯があればできるという手軽さから、茶人や数寄者たちの間では茶わんつくりを楽しんだ人々が少なくなかったようです。そのような中にあって、傑出した作品を残したのが本阿弥光悦です。

 本阿弥家の一族は、刀剣の鑑定、磨ぎ、拭いを家職として足利将軍に仕えていましたが、足利氏が没落したあとは、織田、豊臣、徳川や前田家などに用いられて、厚い信任を得ていました。光悦の両親は敬虔な法華宗の信者でした。光悦は、このような家風と恵まれた資産を受け継ぎ、長じて当時一流の文化人たちと交わり、豊かな教養と識見、優れた芸術的感覚を持ち、とりわけ、能書家として、近衛信尹、松花堂昭乗とともに寛永の三筆とも言われました。

 大阪夏の陣で豊臣氏が滅亡し、徳川氏の勢力が確定した一六一五年、光悦五七歳の時、家康から洛北鷹に広大な土地を与えられ、一族や縁者、友人、職人たちとともに住居を構え、ここに法華宗を紐帯とする芸術家村を設立しました。

 光悦が、茶わんつくりを始めたのは、鷹峰に移り住んだ後のことです。光悦は茶の湯を古田織部と織田有楽斉に習いました。彼が茶わんつくりに打ち込んだ時期は、利休流のわび茶がやや後退し、ひょうげたもの、ひずみたるものを好んだ織部の全盛期に当たります。

 光悦の作陶は全くの趣味の世界で、利休好みの静かな求道的な作風とは反対に織部好みに深く共感しながら、当時第一流の町衆文化人として、自由無碍の境地で、遊び心を展開した面白さが特徴の一つです。

 光悦作の茶わんは現在十数点が知られています。これらの茶わんは、その作風から大きく三つに分けることができます。

 その一つ目は、『不二山』『加賀光悦』『七里』など、きっかりと腰の角張った半筒形の一群です。二つ目は、『雨雲』『時雨』など筒形でありながら、腰に丸みをつけ、高台が碁笥底のように低くしたもの。そして三つ目は『雪峰』『乙御前』『紙屋』など、口部をややつぼませ、胴部を丸く張らせた、全体が丸み豊かな形のものです。それぞれが手ヅクネの実験を楽しんでいるかのように、あるいはおどけた様子にすら見える面白みがあります。

 これらの茶わんの多くには、ひび割れがあります。中には、こんなに割れちゃったものを!と思うものもあります。漆と金で繕ってはありますが、それが返って力強く魅力的に見えるのはなんとも不思議です。

 

 

桃山の茶陶
茨城県常陸太田

茨城県常陸太田

茨城県常陸太田市美里町

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茨城県日立市

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茨城県日立市2

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栃木県黒磯市2

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