陶芸家 江口滉
桃山の茶陶5 黄瀬戸
黄瀬戸は、「瀬戸で作られた黄色のやきもの」という意味で呼ばれていたのですが、瀬戸黒と同じように、実際は桃山時代末期から江戸時代初期にかけて美濃で作られたものでした。瀬戸黒は茶碗だけを作ったのに対して、黄瀬戸の茶碗はごく僅かで、主流は向付・平鉢など食器類が中心でした。
瀬戸、美濃地方では、以前から中国宋の青磁を真似た製品を作る努力が重ねられ、鉄分を含んだ灰釉が早くから使われていました。黄瀬戸の釉薬は、この灰釉を基にしたものです。窯の進歩に対応して、高い温度でも安定した結果を得るために、長石や珪石、黄土などを加える工夫によって、これまでにはなかった黄色で不透明の独特の肌合いを持つ釉薬が作られました。この釉薬の肌合いを油揚手(あぶらげで)と言い、黄瀬戸の最も優れたものとされています。
黄瀬戸の陶土は、細かめのものを使い薄手に作られています。黄瀬戸には、草花文を中心として流麗な文様が多く使われています。半乾きの素地にヘラなどで浅く線彫り文様がつけられます。これに黄瀬戸釉が施され、胆礬(タンバン)と呼ばれる緑色の釉薬が添加され、さらに鉄えのぐで文様が描かれることがあります。
黄瀬戸の登場は、これまで漆器やカワラケが中心であった食器に初めて色彩豊かな華やかさが現れた画期的なできごとで、その後の日本の食器文化の発展のきっかけとなったと言えそうです。
黄瀬戸は、十六世紀後半から始まり、十六世紀末から十七世紀初頭(桃山時代から、江戸時代に移る時期)がその最盛期であったと考えられています。このころほとんど同時に作られていた瀬戸黒や少し遅れて現れた志野などが、野趣を感じさせる「ひずみ」を強調していたのに対して、端正な美しさを基本にしていました。やがて、志野が登場するころに、黄瀬戸の生産は後退しはじめます。そして織部が作られるころには殆どその姿を消してしまいました。
・胆礬(タンバン)は、硫酸銅を主成分とする鉱物のひとつで、陶磁器の釉薬に添加して、緑色を発色させる顔料として使います。黄瀬戸の製品の中には、素地が薄くて緑色が裏面にまで透過しているものがあります。これを『抜け胆礬』と呼んで珍重されています。
・現在の日本の食器は、その素材と種類、形、色、文様などが大変豊富です。これは日本の食器の特徴のひとつで、世界中で他に例を見ないほどの華やかさに富んでいると言えます。
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