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桃山の茶陶10 織部2

 

 織部の呼称は、古田織部(おりべの)正(かみ)重然(しげなり)(一五四四~一六一五)の官職名に由来するとされています。「古田織部の指導のもとに作られた」とか「織部が好んで使った」などの逸話や伝説はありますが、織部焼きと古田織部との関係を具体的に証明する資料はほとんどないそうです。古田織部が茶人として活躍していた頃、これらの焼物は「セト焼き」「歪み候」「ひょうげもの」などと呼ばれていて、「織部」とは呼ばれていませんでした。

 焼物の「織部」が文書の中に初めて登場するのは、一七世紀の後半になってからで、古田織部の没後五〇年ほども後のことです。その後一八世紀になると、茶会記にもたびたび記されるようになり、「織部」の呼称が定着したようです。

 織部は、器の形や作風、文様などにバラエティーがあるばかりでなく、作られたものの種類も豊富です。茶碗・茶入・水指・花入・香合・建水・振出・香炉のほか、懐石用の向付・鉢類・皿類・徳利・猪口・盃・汁次・土瓶、さらに硯・水滴・陶印・燭台・煙管・玩具などがあります。

 織部は日本の焼物に、とりわけ食器の世界に革命をもたらしました。織部のデザインは、それまでの焼物に比べて極めて斬新で華やかです。今、私たちは織部をたくさん見ています。その後に作られたさまざまな焼き物も数多く見ています。そのため、織部を見て改めて ビックリするようなことはありませんが、桃山時代にこれらの焼物を初めて見た人々のインパクトはどれほどだったでしょう。

 それ以前の懐石膳の上の食器類といえば、黒か赤の漆塗り、素木、あるいは土器(かわらけ)などが主流で、比較的色彩豊かなものといえば、黄瀬戸ぐらいのものでした。これが当時の常識の範囲でした。

 懐石膳の四角、お碗の丸に織部の向付の自由奔放な形がひとつ加わるだけで、お膳の上は突然堅苦しさから解放されて華やかに楽しくなります。織部の向付のバリエーションの豊かさは驚くばかりです。筒形の深い向付、平たい平向は扇形、船形、ひょうたん形、形容しがたい不定形、把手を付けてみたり、透かしを彫り込んでみたり、描かれた文様は当時流行していた辻が花という絞り染めの衣装文様、王朝の人々が愛用した有職文様、海外から渡来した南蛮人の風俗等々、この旺盛な遊び心の楽しさが、織部の魅力だといえましょう。

 

桃山の茶陶
茨城県常陸太田

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茨城県常陸太田市美里町

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