陶芸家 江口滉
江戸時代の諸窯一
今回からしばらく、江戸時代に盛衰を繰り返した窯場を眺めて歩くことにします(九州と京都は終わりましたので除きます)。そして時々立ち止まって、しっかりと観察することもあります。
江戸時代は、徳川家康が征夷大将軍に任じられ江戸幕府を開設した一六〇三年から、十五代将軍の徳川慶喜が大政を奉還した一八六七年までの二六四年間を言います。
江戸時代になると、全国各地でやきものつくりの盛衰が大変多く繰り返されることとなりました。現在、各地にある○○焼きと呼ばれている窯場の多くは江戸時代になって興ったものです。
江戸時代をおよそ初期、中期、後期の三つに区分してみると、産業として成立した窯場の数は、初期には約六〇件、中期には約九〇件、後期には四八〇件にものぼります。これらの内現在も操業を続けているには約六〇件ほどの窯場です。
これらのやきものつくりは大雑把に三種類に分けることができます。一つ目はお庭窯と呼ばれるものです。茶陶を好む大名・公家など有力者が楽しみのために城内や邸内に設けた窯で、設置者の好みが色濃く現れる趣味性の強いものが多いです。二つ目は御用窯です。この窯も有力者の直営または管理下にあって、もっぱら自家用、贈答用の高級品を作ることを目的にしました。三つ目は藩窯です。藩窯には藩庁が直接経営していた場合と、経営を認可して民間人が経営していた場合があります。それぞれの窯について、藩庁がどれほど関わっていたかは一定ではなく、研究者や関係者によって意見はさまざまです。これらの窯の内で、佐賀鍋島藩の鍋島焼きは実態の判る珍しい例です。
また、藩窯がいつ頃から始まったかについても定かではありませんが、伊賀国の筒井氏が経営に関わった伊賀焼きは桃山時代末期のもので、最も古い例と言えましょう。
民窯と呼ばれる窯があります。これは昭和初期に柳宗悦が提唱した民芸運動の理念でとらえた言い方で、民間のための実用品を作った窯のことを言います。これらの窯も多くの場合は藩の認可のもとに経営されていました。
箱館焼き
幕末に箱館奉行が蝦夷地の産業育成事業の一つとして始めた窯場です。一八五七(安政四)年に美濃の陶工を招いて函館市内谷地頭町に窯を築いて操業を始めましたが、採算が取れず、数年で廃絶しました。伝世する製品の多くは染付磁器で、湯呑、茶碗、茶壷などに、函館の風景やアイヌの風俗を絵付けしたものがあります。
![]() 茨城県常陸太田 |
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![]() 茨城県常陸太田市美里町 |
![]() 茨城県日立市 |
![]() 茨城県日立市2 |
![]() 茨城県日立市3 |
![]() 茨城県日立市4 |
![]() 茨城県日立市5 |
![]() 栃木県黒磯市 |
![]() 栃木県黒磯市2 |
![]() 栃木県黒磯市3 |
![]() 栃木県市貝町 |
![]() 栃木県那須市 |
![]() 栃木県那須市2 |
![]() 栃木県那須那珂川町 |
![]() 栃木県宇都宮市 |
![]() 栃木県益子町 |
![]() 群馬県渋川市 |
![]() 群馬県水上町 |
![]() 群馬県水上町2 |
![]() 群馬県前橋市 |
![]() 群馬県前橋市2 |
![]() 群馬県前橋市3 |
![]() 埼玉県嵐山町 |
![]() 群馬県某所 |
![]() 埼玉県東松山市 |
![]() 埼玉県東松山市2 |
![]() 埼玉県浦和市 |
![]() 群馬県岩槻市 |
![]() 埼玉県岩槻市2 |
![]() 埼玉県長瀞町 |
![]() 東京都某所 |
![]() 東京都某所2 |
![]() 神奈川県小田原市 |
![]() 神奈川県小田原市2 |
![]() 神奈川県茅ヶ崎市 |
![]() 神奈川県茅ヶ崎市2 |
![]() 神奈川県茅ヶ崎市3 |
![]() 神奈川県横浜市 |
![]() 神奈川県横浜市2 |