陶芸家 江口滉
江戸時代の諸窯八
江戸時代にやきもの作りが始まった窯場を、北から順に紹介して、関東地方まで来ました。ここで少し立ち止まって周囲を見回してみると、関東地方とその周辺部には、江戸時代を通してやきもの作りがほとんど興らなかった、興ったけれどきわめて小規模だった、短期間で廃絶してしまったという地域があります。その最大の理由は、良質の陶土が採れなかった、交通が大変不便であったことなどが考えられますが、そればかりではないようです。
東京(江戸)を中心にして周囲をとり巻くようなこれらの地域は、天領(江戸幕府の直轄地)、譜代大名の小規模な大名領、旗本領などがモザイクのように入り組んだ大変複雑なところです。
天領の行政は、京都、大阪、長崎など特別な場合のほかは、幕府から派遣された代官が担当していました。代官の多くは下層の旗本で、家臣団は持っていなくて、江戸の役宅と任地の陣屋を往復していました。このため、行政は手薄になりがちで治安の不安定なところが少なくありませんでした。このようなところには博徒が跋扈することがありました。(清水次郎長・国定忠治・黒駒勝蔵)代官にとっては、天領は自分の領地ではありません。そのため、彼らは役を無事に果たせばよいので、積極的に産業を活性化させる意欲はありませんでした。また、譜代大名や旗本の小規模の領地では地場産業を興すほどの経済力はありませんでした。このようなところにはやきもの作りは興りません。
千葉県
佐倉藩十一万石のほかは小藩で、天領、旗本領が多く、かなり複雑な地域のひとつです。
埼玉県
川越、岩槻、忍には幕府の自重臣を配置しましたが、全域の七割は天領、旗本領でした。
神奈川県
小田原藩以外は、江戸に隣接する東海道の要地として天領、旗本領とされました。
群馬県
江戸の背後の要衝として、全域に天領、小大名領、寺社領、旗本領に分割支配されていました。
山梨県
最初は親藩、譜代大名が置かれていましてが、中期頃から甲斐国全域が天領となり、甲府勤番と呼ばれる代官が置かれました。
静岡県
江戸時代初期には駿府(静岡市)は家康の隠居城となり、実質的な政治の中心地でした。駿府以外の全域は、天領、譜代大名領、旗本領に分割されていました。静岡県には志戸呂焼がありました。説明は次回にします。