陶芸家 江口滉
江戸時代の諸窯十一
石川県
九谷焼1
石川県加賀市山中町九谷とその周辺で、江戸時代以来焼き続けられている陶磁器を九谷焼と言います。江戸時代の初期につくられたものを古九谷といい、江戸後期のものを再興九谷と言います。
肥前有田の赤絵磁器、京焼の色絵陶器と並んで日本の三大色絵群のひとつ、古九谷の色絵磁器は世界的な名陶として広く愛好されてきましたが、その創出から変遷について、今なおよく判らないことが少なくありません。
一六三九(寛永十六)年、加賀三代藩主前田利常は隠居するにあたって、三子利治に七万石を与えて大聖寺藩を創設しました。利治は、殖産興業の一環として領内九谷の鉱山で良質の陶石が発見されたのを機に、やきもの生産を始めたのが九谷焼の起こりだと伝えられています。藩士後藤才次郎は藩命によって肥前有田に留学し、陶技を習得して、一六五五(明暦元)年ころ、九谷に築窯し作陶を始めたとされています。
ところが、二〇世紀の初めころから「古九谷は肥前有田で作られたもの」とする説が言われ始めました。一九七二(昭和四七)年と一九八八(同六三)年に有田町内の窯跡から、古九谷の白磁素地と色絵の磁器片が出土して、有田で作られていたことが裏付けされました。しかし、古九谷様式の製品は伊万里焼の一つとして流出することはありませんでした。
一方、一九七〇(同四五)年以降、九谷での発掘調査も行われ、約二万点にも上る陶磁片を採取した中に、色絵付けを目的につくられた磁器片などがあって、九谷での生産も実証されました。
この問題に関しては、参考にした資料によって偏り方に大きな差があります。どちらか一方に軍配を上げることはできません。古九谷の生産地をどちらかの一方に決めることができないため、これらの色絵磁器の特徴を話題にするときには便宜的に『古九谷様式』と言うことになっています。
古九谷様式の名品の多くは大皿と平鉢で、次いで中皿、小皿ですがこれらは大皿に盛られた食べ物を取り分けるための取り皿だと思われます。
古九谷様式の色絵は、古伊万里や柿右衛門様式とは異なり、交趾焼から発展した京焼の色絵と同様、色釉を厚く盛り上げる方法で施されていて、豪放で華麗な雰囲気を醸しています。
古九谷様式の意匠構成はいくつかのパターンに分けられます。
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全面に絵模様をゴスで描き、模様に従って色彩が施されているもの。
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口縁に唐草文様を巡らせて、中央に絵画的な構図のあるもの。
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口縁を数区に区分し種々の幾何文様や小紋で埋め、中央に山水・花鳥・風月・人物を描いたもの。
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全面または口縁に菊花などの写生的小紋で埋め、黄絵具で窓枠を取ってその中に種々の文様を描いたもの
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全面を気が幾何学的文様で埋め尽くしたもの。
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黄・緑・紫・紺青のうち二彩または三彩で全面塗埋の青手と呼ばれているもの
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型起こしで成形した九辺形の皿などです。
![]() 茨城県常陸太田 |
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