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九州の窯十五 高取二

 

 白旗山の窯は三十五年間操業が続きました。初代高取八蔵の跡を継いだ次男の貞明は一六六五年に窯を黒田藩の南端、朝倉郡小石原の鼓と言う所へ移しました。ここは、かつて陸の孤島といわれたほどの山間辺境の地です。何故このような遠い場所に移転したのか、明確な理由はわかりませんが、良質の陶土や豊富な薪が得やすかったためではないかと思われます。

この鼓窯は黒田藩の御用窯で、白旗山の窯に引き続いて遠州好みの茶道具を中心に焼き、特に三代目藩主黒田光之の好みを反映して「茶入れ窯」と呼ばれるほど多くの茶入れが作られました。その後、この鼓窯は初代八蔵の長男の長子(重房)が三代目を継ぎ、高取宗家として世代を重ね、幕末を経て現代にまで茶陶つくりが続いています。

鼓窯を継いだ重房の弟貞正は一六六九年頃に小石原村近くの中野という所に藩の保護を得て民間需要に応じる日用雑器を焼く窯を開きました。この窯は偶々修験道場として有名な英彦山の登り口に当たり、参詣人のみやげ物だった小石原徳利の産地として知られました。また、昭和初期には民芸の保存運動を展開した柳宗悦に評価され民芸窯小石原焼として一躍有名になりました。

小石原の窯は、福岡城下から余りにも遠く、何かと不便だったために、かなり早くから城下に窯を築くことが計画されていましたが、五代藩主宣政のとき(一七〇八年)現在の福岡市早良区鹿原に窯を設置しました。この窯は、藩御用の窯として各地の国焼窯と技術の交流が行われ、上野風の総緑青のものや京風の絵付けをした絵高取などが作られました。さらに民間の需要に対応した窯も新設されましたが、この窯は明治になって藩の保護がなくなると経営ができなくなって廃止されました。今では、紅葉山の麓に高取焼味楽窯が茶陶つくりの伝統を守っています。

豊後国日田郡(大分県日田市)は、島原の乱(一六三八年)の後、幕府の直轄領地となり、九州における政治・経済の中心地として栄えました。十八世紀初頭、当時の代官が、殖産振興の一つとして福岡黒田藩に協力を願い出て、小石原の陶工を招いて開設したのが、日田の皿山と呼ばれていた小鹿田(おんた)焼です。ここは元来、半農半陶で農閑期に近郷の要望に応じた日用品を作ってきました。昭和の初期に小石原と並んで柳宗悦に紹介され、戦後、バーナード・リーチが滞在して制作をしたこともあって、広く知られるようになりました。

 

九州の窯
茨城県常陸太田

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茨城県常陸太田市美里町

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