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九州の窯二十一 薩摩焼五 (龍門司・元立・平佐)

 

 民芸陶器の一つとして知られている龍門司焼も渡来陶工によって始められたやきものです。串木野の島平に上陸したと思われる卞芳仲(べんほうちう)らは、金海が帖佐・宇都に開窯した頃、近くの八日町に窯を築きました。これが龍門司の最初の窯と伝えられています。

 藩主義弘の跡を継いだ家久は、居城を鹿児島に移した後、加治木には支藩を置きました。芳仲らは、加治木藩島津氏の庇護を受けて操業を続けました。窯は八日町、龍口坂、吉原へとたびたび移転しながら、細々とやきものつくりが続けられていたことになっていますが、これらの窯跡は殆ど確認できていないようです。

 元禄時代の初め頃(十七世紀末)近くで白土が発見されましたが、素地に使えるほどの量が得られなかったため、化粧土として使うことが考え出されて、これに飴釉や銅緑釉を流し掛けにした明るくて優雅ないわゆる龍門司三彩が創りだされました。

 

 薩摩では、陶窯開始以来、磁器に対するあこがれが強く、各窯場から度々陶工を有田や京都へ派遣して磁器の製法を学ばせてきましたが、原料を上手く入手することができなくて、一時的に少し作られたに過ぎませんでした。

 十七世紀の後半頃、肥前から伝えられた磁器を作ろうとした小野元立(おのげんりゅう)と言う修験僧が姶良郡姶良町西餅田に磁器窯を築いて操業を始めましたが、原料調達がうまく行かず、陶器窯に変更しました。製品は主に、碗、皿、瓶、鉢など日用品を生産し、やがて藩主に献上できるほどの製品を作るなど、順調に進展しました。釉薬は黒釉、褐釉、黒飴釉など鉄釉系のものが中心で蛇褐釉(だかつゆう)と呼ばれている釉のちぢれを文様に利用した釉薬が特徴の一つです。

 約八〇年間続いて経営が行きづまり、五代目の元立が龍門司の陶工となって廃窯となりました。

 

 江戸時代中期(十八世紀後半)になって、今井儀右衛門という人が、自費を投じて現在の川内市天辰町に肥前様式の登り窯を築き、磁器つくりを始めました。ところがこの窯は二年ほどで経営ができなくなりました。これを惜しんだ薩摩支藩の北郷氏は産業的な見地から領主直営の窯として再興し、肥前から陶工を招き、天草から原料を取り寄せるなどして大いに進展しました。これを平佐焼きといい、白磁、染付け、赤絵のほかに、明治になって長崎の長与三彩の技術を導入した鼈甲焼という三彩手がつくられました。

 

九州の窯
茨城県常陸太田

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茨城県常陸太田市美里町

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