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九州の窯七 伊万里の普及

 

 十八世紀の終り頃、橘南谿(たちばななんけい)という京都の町医者が、医術修行のため日本各地を五年間かけて旅行して、見聞したことを書きとどめた「東西遊記」という書物があります。この中に長崎でのこととして次のとおりの記述があります。

『近きころ、上方にも唐めきたる事を好み弄ぶ人、卓子食(しっぽくしょく)という料理をして、一つ器に飲食を盛りて主客数人みずからの箸をつけて、遠慮なく食することなり。誠にかくいなく打ち和し、奔走給仕の煩わしき事もなく簡約にて、酒の献酬のむつかしき事もなく各盞にひかえて心任せに飲み食う事、風流の宴会にて面白き事なり。寺院にも黄檗宗などの寺には不茶とて精進ながら卓子料理することなり。是日本にてはめずらしきことに思いて、いたって心易き朋友中ならでは行いがたき事なるに、唐土にては世間常なりとぞ。----略----たまたま上方のごとく、卓子料理も打ち和してよけれども、この事常になりてはいとみだりがわしき事なるべし。』

 シッポクというのは、もともと食卓を覆う布(テーブルクロス)のことですが、転じて食卓という意味にも使われます。

 長崎は、鎖国時代にはわが国の唯一の外国貿易港であり、外国人の居留地でもあったため、独特の料理が見られました。

 親しい者たちが一つの食卓を囲んで、大皿や鉢に盛られた料理を各自が気ままに取り分けて食べる形式は、今では家庭の中でも外食の場面でもごく普通に見られる特に珍しい形式ではありませんが、銘々膳しか知らなかった当時の人にとっては、新鮮な驚きであったろうと思います。この料理形式は、文人たちの注目を集めました。そしてやがて長崎だけでなく、漸く外食産業が盛んになりかけていた京都や大阪、江戸の町にも伝えられました。高知県の郷土料理、皿鉢(さわち)料理や、その後盛んになった各地のさまざまな鍋料理などもシッポク料理の影響を受けて発展したものだといわれています。

 シッポク料理には、直径が三十センチ以上もある大皿が必要です。これまでこのような大きな皿や鉢は、厨房で調理のときに使われることはありましたが、食事の場面に現れることはほとんどありませんでした。シッポク料理の流行とともに華麗な伊万里の大皿が登場したのです。

 一方、この頃から都市の商人や豪農層などは、冠婚葬祭用に20人分の食器をそろえるなどと同時に大皿も常備することが見られるようになりました。

 

 

九州の窯
茨城県常陸太田

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茨城県常陸太田市美里町

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茨城県日立市

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茨城県日立市2

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