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九州の窯十二 現川の刷毛目 長与の三彩 亀山の染付け

 

現川(うつつがわ)

 現川の陶器は、京焼だといわれても、うっかり信じてしまうほど瀟洒で雅やかなものです。赤土で作られた薄手の素地に白い化粧泥を刷毛で施したものですが、刷毛の大小、種類やその扱い方によって表される刷毛目文様は、雲であったり、波や縮緬のようであったりとさまざまな変化を見せます。刷毛目文様の陶器は他の地方にもいろいろありますが、現川のものは群を抜いて軽快で洗練されています。現川の焼き物は、刷毛目文様だけでなく、刷毛目の上からゴスや鉄などで絵模様の描かれたものもあります。

現川焼は、十七世紀末(元禄の初め)頃に現在の長崎市西北部約十キロメートル離れた山村に、諫早藩の下級武士であった田中宗悦という人が始めたと伝えられています。その後諫早藩の保護を受けて発展し、一時は「西の仁清」とまで言われて好評を博しましたが、十八世紀の中頃衰退し、やがて絶えてしまいました。

長与(ながよ)

 長崎市の北方、長与村では、三彩が焼かれていたことがあります。伝世品があるほか、窯跡からも発掘されます。大村藩の当時の様子を伝える記録の中に、「珍敷焼物」の文字があり、長与三彩が焼かれていたと考えられています。また、大村藩から、士分待遇を受けていたチャンパン(ベトナム)出身の陶工が一人いたことが記されていて、長与三彩の技術は、この陶工を通してベトナム南部(交趾)の技術が伝えられたと想像できます。

長与でやきもの作りが始まったのは、十七世紀後半頃で、その後盛衰はありながらも、十九世紀後半までのおよそ一九〇年間作り続けられました。十八世紀の中頃には、全長が一〇〇メートルを超える大きな登り窯で、染付けなど日用品を大量に生産して、経営も順調に進み、製品は藩外にまで販路を広げていました。

亀山(かめやま)

 十九世紀の初頭、長崎の町の中にオランダの船の求めに応じて水甕を焼く窯が作られました。亀山焼きといいます。ところが、ヨーロッパで勃発したナポレオン戦争の影響で、オランダ船の寄港が急減し、水甕つくりは失敗してしまいました。そこで、長崎奉行の指導のもと、波佐見や長与から陶工を招いて白磁染付けの製造に転換しました。一時は著名な文人たちに依頼して雅味のある文人画風の絵付けを行い評価を得ましたが、やがて財政難のため、廃窯となりました。後には、この工房の跡が、坂本龍馬の率いる亀山社中の活動の拠点となりました。 

 

 

九州の窯
茨城県常陸太田

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茨城県常陸太田市美里町

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