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九州の窯九 赤絵二

 

 佐賀藩主鍋島家の自家用と幕府や諸大名への献上品や贈答品として作られたやきものを「鍋島」と呼んでいます。

 李参平が磁器焼成に成功した十数年後の一六二八年頃、佐賀藩は中国の官窯にならって藩直営の窯の設置を計画しました。二代目の藩主のとき、有田の陶工の内、特に技術の優れた京都の出身の副田喜左衛門に命じて有田岩谷川内に藩専用の窯を開設させました。この窯は約三〇年操業し有田の西郊南川原山に移り、更に十年後には北方の大川内山に移されました。大川内山窯は、幕末にいたるまでほとんど経費を度外視して優品制作に専念し、精妙華麗な「鍋島」が作られました。

 特に十七世紀末から十八世紀初頭にわたる約五〇年間に作られた精品は、日本の色絵磁器中第一で、中国清朝官窯のものと比較して、これを凌ぐ程のものと言われています。

 江戸時代に藩の保護を受けて操業した窯場はたくさんありますが、鍋島大川内山のように経営全体に直接関わった例は他にありません。大川内山は、周囲を険しい山に囲まれた狭い谷間の村で、この村の入り口には、技術が外部に漏れるのを防ぐため、関所が設けられていて、役人のほかは出入りが禁止されていました。窯場で働く陶工たちは、身分は士分格でしたが、生涯山を降りることができなかったと伝えられています。

 古い窯場には、近くに「物原」という失敗品の捨て場があります。ところがここには物原がありません。失敗品は四つ以上に割って、深い井戸の中に捨てられ、井戸が一杯になると杉や樫などの樹木を植えて、失敗品も外部へ流失しないように厳しく管理されていました。

 「鍋島」は、他藩の御用窯の基本だった茶道具は作らず、実用の食器、とりわけ大皿や組皿が中心です。また、青磁やルリ釉、染付などもありますが、代表的なものは上絵付けされた『色鍋島』です。

 皿の大きさは、一尺、七寸、五寸、三寸の四種で、その形は木盃形といい、ゆったりとしたやや深めの見込みと高い高台が基本です。高台の脇には多くの場合裏文様として七宝結び文が描かれています。

 見込みの文様の題材は、日本の伝統的な松竹梅、牡丹、菊、蘭、八宝文などのほか、野草や野菜など日常生活の中から選ばれたものがあります。これらの文様は、江戸時代中期に江戸や大阪で刊行された各種の絵手本や模様本を参考にしたものが多く、元禄時代の小袖などと共通した意匠が見られます。

 絵模様は、染付で輪郭を描き、藍、赤、緑、黄(まれに黒、紫)の上絵の具で彩色されています。他の伊万里と違って金が一切使われていませんが、そのため返って落ち着いた豪華さを感じさせます。

九州の窯
茨城県常陸太田

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茨城県常陸太田市美里町

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茨城県日立市

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茨城県日立市2

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茨城県日立市3

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茨城県日立市4

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茨城県日立市5

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栃木県黒磯市

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栃木県黒磯市2

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栃木県黒磯市3

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栃木県市貝町

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栃木県那須市2

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栃木県那須那珂川町

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群馬県水上町2

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群馬県前橋市2

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埼玉県東松山市2

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神奈川県茅ヶ崎市2

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神奈川県茅ヶ崎市3

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