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九州の窯十九 薩摩焼三 (苗代川二)

 

 昨年二月号「伊万里の普及」の中で京都の町医者・橘南谿の東西遊記を紹介しました。この書物の中に、橘南谿が苗代川を訪ねた記述があります。

『薩州鹿児島城下より七里西の方ノシロコ(苗代川)という所は、一郷皆高麗人なり。むかし、太閤秀吉、朝鮮国御征伐の時、この国の先君、彼国の一郷の男女老若とりことなして帰りたまい、薩州にて彼朝鮮のものどもに一郷の土地を賜い、永くこの国に住ませしめたまう。今に至り、その子孫うち続き、朝鮮の風俗のままにして、衣服、言語も皆朝鮮人にて、日を追うて繁茂し、数百家となれり。-略-

「さて日本へ渡り給いてより何代になり給うにや」と問えば「既に五代に成れり。この村中にも、長寿にて続きたりしは四代なるもあり。また早く替われる家は八代にも及べるあり」という。「しからば、朝鮮は故郷ながらにも数代を経たまえば、彼地のことは思い出したまうまじ。」といえば、「故郷忘じがたしとは誰人のいい置けることにや、只今にてはもはや二百年にも近く、この国の厚恩をこうむり、言葉までもいつしか習いて、この国の人に異ならず、衣服と髪とのみ朝鮮の風俗にて、外に彼地の風儀も残り申さず、絶えて消息も承らずことに候えば、打ち忘れるべきことに候えども、ただ何となく折節につけては故郷ゆかしきように思い出で候いて、今にても帰国のこと赦したまうほどならば、厚恩を忘れたるには非ず候えども、帰国致したき心地候」といえるにぞ、予も哀れとぞ思いし。-略-

翌日、案内のもの来たりて、高麗焼の細工場、並びに竈を見物す。仰山なることどもなり。この村半分は皆焼物師なり。朝鮮より伝え来たりし法を以って焼く故に、白物などは実に高麗渡りのごとくにて、誠に見事なり。日本にて焼たるものとは見えず。それ故に上品の焼物は太守よりの御用物ばかりにて、売買を厳しく禁ぜらる。これによりて平人の手に入ること無く、他国にてももてはやせることを見ず。予も案内者に頼みて求めけれども、白焼は得ることあたわず。ようよう黒焼の中の上品の小猪口を得たり。これも予が遠国者ゆえに、内密にて得させたるなり。携えて帰り今に秘蔵す。―略―』

小説家司馬遼太郎は、この橘南谿の文章を下敷きにして、苗代川の陶芸家沈寿官さんの話を織り込みながら紀行文「故郷忘じがたく候」を書きました。三百数十年にわたる苗代川の歴史をわかりやすく、詳しく読むことができます。是非一読を勧めます。

 

 

 

 

 

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