陶芸家 江口滉
喫茶の歴史1
中世の六古窯の次は、室町時代から桃山時代にかけて流行した喫茶に伴う茶の道具、茶陶の説明をするところですが、その前に日本の喫茶の変遷について説明します。
喫茶の方法は中国から日本へ三度、それぞれ異なった形で伝えられました。最初は平安時代の初期に唐から煎茶として伝えられました。二度目は鎌倉時代の初期に宋から抹茶として、三度目は江戸時代の中頃に明から淹茶として伝わりました。
日本のやきものを知る上で、喫茶の変遷を見落とすことはできません。特に中世の後半にそのクライマックスを迎えた「茶の湯」の流行は、茶道具ばかりでなく、その後の私たちの生活様式全般にわたって極めて大きな影響を与えたのです。
茶の樹はツバキ科の常緑の樹木で、照葉樹と呼ばれている樹木の一つです。原産地はインドから中国雲南省にわたる山岳地帯だろうとされています。茶樹は西日本一帯に自生していても不思議ではありませんが、これまでの研究の結果、自生のものはなく、九州や四国の山間地で見ることのできる山茶と呼ばれている茶樹も本はすべて外来種なのだそうです。
一九六六年、農学者中尾佐助さんは「植物栽培と農耕の起源」という論文を発表し、この中で「照葉樹林文化論」を提唱しました。「ヒマラヤ山脈の南麓からアッサム、東南アジア北部山地、雲南高地、江南山地を経て日本の南西部に至る東アジアの温暖帯には、カシ、シイ、クス、ツバキなどの照葉樹の森林があり、ここに住む人々の間には、共通の文化要素がある。そしてその文化の中心地は、アッサムから雲南省にわたる半月形の地帯である。」と説いているのです。この半月形の地帯を東亜半月弧と呼びます。
この地帯に住む人々の間には、昔からさまざまな植物の葉を加工して服用する習慣がありましたが、やがてそれらが茶葉に収斂していったのが飲茶の始まりだと考えられています。
茶を服用する習慣が、中国に伝わったのは、紀元前一世紀の頃のことで、三国時代の呉や晋の時代には四川、長江中・下流域に普及していたようです。唐時代の中期には国都長安をはじめ各地に流行し、極めて盛んになっていました。陸羽が「茶経」を著したのはこの頃のことでした。
「茶経」の内容は、茶の由来にはじまり、茶を作る道具、作り方、茶器、煮方、飲み方、茶に関係した人物誌、産地、略式の茶事、茶の図が詳しく説明してあるもので、出版されるやたちまちの内に、茶を飲む習慣のあった僧侶たちだけでなく、一般民衆の間にまで優れた実用書として普及したといわれています。そしてやがて「茶経」は精神的な内容を持つ「茶の聖典」としての扱いを受けるようになったのです。
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